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Awesome チャールズ・ジェンキンズ・アンド・フェローシップ・シカゴ (Charles Jenkins and Fellowship Chicago)

日本の場合,「お経」がヒットチャートに登場するということは極めて考えにくいことですが,アメリカではその辺りの事情がやや違います。Matt Redmanの10,000 Reasons (Bless The Lord)という曲は,タイトルからもわかるように,神を称えるいわゆる「プレイズ・ソング」ですが,歌詞サイトMetrolyricsのトップ100曲に何か月,いや何年もラインクインしてます。そしてこの曲もそうなるかもしれません。
In Japan, it's not very likely that we see some Buddhist sutra on charts.  In the US, however, it occurs sometimes.  Matt Redman's "10,000 Reasons (Bless The Lord) which is a praise song as you see from the title, has been a regular of  Top 100 song lyrics on Metrolyrics  for months or maybe years,   This song, too could be eligible for that.
Awesome  (Charles Jenkins and Fellowship Chicago)

My God is awesome, He can move mountains
Keep me in the valley, hide me from the rain
My God is awesome, heals me when I’m broken
Strength where I’ve been weakened, forever He will reign

My God is awesome, awesome, awesome, awesome
My God is awesome, awesome, awesome, awesome
My God is awesome, Savior of the whole world
Giver of salvation, by His stripes I am healed
My God is awesome, today I am forgiven
His grace is why I’m living, praise His holy name

He’s mighty, He’s mighty, He’s mighty, He’s mighty, Awesome, awesome
He’s Holy…
He’s Great…
He’s mighty…
Deliverer…
He’s holy…
Provider…
Protector…

My God is awesome, He can move mountains
Keep me in the valley, hide me from the rain
My God is awesome, heals me when I’m broken
Strength where I’ve been weakened, praise His holy name

我が神は偉大なお方
いくつも山を動かして
あの谷に引き留めて
そこに降る雨からも庇ってくださるそんな方
我が神は偉大なお方
傷ついてしまった時も傷を癒してくださるお方
力をなくして弱った時も勇気を与えてくださるお方
いつまでもこの世を統べるはそのお方

我が神は素晴らしくて偉大なお方
畏敬の念が湧いてくる
我が神は偉大なお方
世界を救ってくださって
救いを与えてくださるお方
神のそのstripesで,傷さえも癒えてくる
我が神は偉大なお方,罪を赦してくださった
こうして生きていけるのも,神のご加護があらばこそ
さあその御名を称えましょう

力強く全能の神,素晴らしく
神聖で
偉大なる全能の神
我らにその恩寵と
日々の糧を与えた上で
お護りくださるそんな方

我が神は偉大なお方
いくつも山を動かして
あの谷に引き留めて
そこに降る雨からも庇ってくださるそんな方
我が神は偉大なお方
傷ついてしまった時も傷を癒してくださるお方
力をなくして弱った時も勇気を与えてくださるお方
いつまでもこの世を統べるはそのお方

(余談)

不可知論者の私ですが,だからといって,いわゆる「未知の大きな力」を全く意識しないわけではありません。むしろ小心者なので「こんなことをしたら(未知の大きな力によって)何かよくないことが起こってしまうのではないか?」と日々考えてしまいます。

我々の日常は,その大小はあるにせよ,常になんらかの「選択」を迫られています。卑近な例で言えば,昼食をカレーにするか,サンドイッチにするか,あるいはコンビニでプリンを買うのか,シュークリームを買うのか。

無論,この程度のことであれば,「カレーにサンドイッチを添える」あるいは「プリンとシュークリームを両方買う」という選択もあり得ますが,そうもいかない場合も多々あるでしょう。その場合,自分のした選択が果たして「正しかった」のか,それとも「誤っていた」のか。常にそのことを考えさせられてしまいます。

そしてそういう場合,指針のひとつとなるのがいわゆる「宗教の教え」であるような気がします。「聖書にこう書いてあるからこうすべき」あるいは「コーランにこう書いてあるからこうすべき」ということにしてしまえば,仮に「誤った選択」をしたとしても,それはあくまでも「指針」に従っただけなので,己の選択の誤りに直面する必要がなくなるばかりか,「誤った選択」をするのではないかという不安からも逃れることができます。

そういう意味で,常に自分の選択が「誤った選択」ではないかという不安を抱えながら生きることを思えば,宗教というのは実に便利な「装置」であるのかもしれません。
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